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2018年12月21日

ペットロスにもなれない?

12月16日にグリーンヒル瞑想研究所主催のヴィパッサナー瞑想の1day合宿に参加してきました。

癌になった麦生を飼い主として最後までしっかりと看病するためには死に対する不安と恐怖に打ち勝つ必要があると思い、藁をもすがる思いで参加したのがちょうど2年前。

そのことに直感的に気づいていながら、結局私は2年間自分の死生観を確立することができませんでした。というよりも、真剣に考えることも、学ぶことも、修行も何もしなかった。

そのため、麦生が生き物としての自然な死を迎える邪魔をしたのではないか。強制給餌などをして飼い主のエゴで麦生の苦しみを引き延ばしてしまったのではないか。

私は後悔というものをしたことがありません。1日寝たら(Maxでも3日)忘れる、そういう性格です。そういう私が人生で初めてする後悔、というにはあまりにも重く苦い思い。

17年半も一緒に過ごしたのに思い出すのは最後の数か月の苦しい闘病中の麦生の姿であり、強制給餌に力なく抵抗する麦生の鳴き声です。

それがあまりにも辛いので、私は麦生を思い出したり考えたりすることをしなくなっていました。

これはよくないなぁ、、、、。今、きちんと悲しみに向かい合わないとペットロスにすらなれないと思いました(これも一種のロスなのかもしれませんが)。

肉体の制約が外れたのだから、いつでもどこでも麦生と一緒にいる感覚を持ちたいのに思い出すのが苦しくて、麦生と暮らしたこと自体が朧で写真を見ても「私は本当にこの子と暮らしたのだろうか」と思う始末です。

今度こそ自分の死生観をしっかりと持たなければ私は麦生のことを思い出すことができなくなってしまう。そう思い、2年ぶり2回目の瞑想合宿に参加することにしました。

たった1日の瞑想で「死(生)とは」がわかるとは思っていませんが、苦しみ迷い妄想し執着する自分と向き合い、妄想や執着に気づき、事実とそれらを識別し、妄想や執着に捕らわれずに受け流す訓練はできるはず。

合宿の最初の1時間程は所長の地橋先生によるダンマトーク(法話)。参加者が事前に提出しているレポート(合宿参加の理由や意気込み)に対する回答のようなお話がありました。

私は上述のような「自然な死を迎えさせてやれなかった後悔があり辛い」的なことを書きました。それに対する地橋先生のお話が胸に響き、一瞬で悩みが解決しました。

先生になんと言われたかといいますと、

「確かにこの人(ダンマトークでは匿名)がきちんと死生観を身につけていたら飼猫への対処が変わっていたかもしれない。しかし、何が正しかったのかなんてことは誰も判断できない。だから、後悔はする必要はない。この人にとっては正しかったのだ。もし、それが本当は正しくなかったとしたら、この人が死ぬ時、同じことがこの人の身に起こる。それが因果応報。ただそれだけのことだ。その覚悟さえできていれば後悔はする必要はない」

先生のこの回答をうかがい、「ああ、そうか。それならば私はもう後悔するのは止める。自分のことを許し、しっかり麦生のことを思い出す」と心が決まりました。だって、間違っていたのなら、私が死ぬとき報いを受けることができるのだから。

もちろん、悩みが解決したからと言って悲しみや寂しさがなくなるわけではありません。むしろ、向き合うことができるようになった分、悲しさも寂しさも深まったように感じます。

今はとことん悲しむべき時なのでしょう。いま、しっかり悲しんで泣いておけば、いずれ楽しく豊かだった麦生との時間のことを思い出すことができるようになるのだと思います。

最初の1時間で合宿に参加した意味はあったのですが、それからの7時間はひたすら無言で(本当に誰とも一切話はしません)、歩く瞑想、座る瞑想、慈悲の瞑想を繰り返すのみ。

私は朝の地橋先生の言葉が繰り返し繰り返し頭に浮かんでくるので、その都度、「思考!」とSati(自分の状態に気づき、短い言葉でラベリングすること)を入れ、思考を流して瞑想に集中するようにしました。

話をしたのは10分程度の地橋先生との個人面談の時のみです。その時、2年前の合宿で知り合った循環器内科の専門医の方に肺がん末期の患者の体内で何が起こるのかを詳しく教えていただいたおかげで、麦生の3回目の呼吸困難の発作から死に至るまでの17時間9分、うろたえることなく麦生が穏やかな最期を迎えられることだけに心を注ぐことができたことをお話しました。

その話をお聞きになって地橋先生も驚かれ、良い縁があったことを喜んでくださいました。

死の恐怖と不安におびえたふがいない飼い主でしたが、最後の17時間9分間は自分で言うのもなんですがかなりちゃんとしていたと思うのです。このときのために2年前に合宿に参加し、ドクターと出会ったのだと信じております、はい。

瞑想中は誰ともしゃべりませんが、参加者の方々とは不思議な絆を感じます。参加者はそれぞれが参加する理由を抱え、真剣に自分と向き合うのですが、私たちは皆、他の参加者が真剣に自分と向き合っているから自分もそれができたのだということを知っていて、深く感謝しているのだと感じました。

それぞれが抱える「ここに来る理由」は最後の振り返りの時間でそこはかとなく察せられる場合もあれば、そこまで言っていいのというくらい率直にお話をされる場合もあります。どれも軽くはないです。それでも一歩一歩進もうとする姿に力づけられる一日でした。

さて。私の死生観を確立するという話ですが、今度こそ待ったなしで取組もうと思います(まずは勉強と毎日の瞑想から始めました)。

麦生が気づかせてくれましたからね。あの小さい体で。「今、ちゃんと考えておかないとうろたえるぞ」って。私にはまだ両親もいますし、自分だって何があってもおかしくない年になってきましたしね( 一一)。

今年は死を通して生きるということが色濃くなった年でした。善く生きなくては。

それではまた。
posted by Livingrowth at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | オフの日常
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